長野県
真田幸隆・昌幸の墓


真田幸隆・昌幸について
幸隆(1513–1574)は信濃の小豪族で、武田信玄に仕えて知略で砥石城を落とし、真田家の基礎を築いた。三男の昌幸(1547–1611)は武田氏の滅亡後に独立し、上田城で徳川の大軍を2度も退けた知将。関ヶ原の戦いのあと、子の信繁(幸村)とともに九度山へ流された。
墓所の情報
- 菩提寺・墓地
- 長谷寺
- 所在地
- 長野県上田市真田町長4646
- 参拝日
- 2012年8月12日
長野県


幸隆(1513–1574)は信濃の小豪族で、武田信玄に仕えて知略で砥石城を落とし、真田家の基礎を築いた。三男の昌幸(1547–1611)は武田氏の滅亡後に独立し、上田城で徳川の大軍を2度も退けた知将。関ヶ原の戦いのあと、子の信繁(幸村)とともに九度山へ流された。